【幸福】

「う〜ん?」
暖炉の前に陣取り、本を読んでいたリナが唸る。
「どうしたんだ?」
その背後、ソファの上で微睡んでいたリナの相棒のガウリイが、頭だけを上げ、そちらを向いた。
「あ〜、ほら、最近、どの町もやけに飾られていて、今日なんか、頼んでもいない焼き菓子が出たじゃない?」
「お〜」
まだ微睡みの中にいるのか、間延びした返事になったガウリイ。
そんな彼に、「ちゃんと聞いてる?」と苦言しながらも、リナの表情は柔らかなもの。
今更、そんな事に腹を立てる気にならないので、話をそのまま続ける。
「で、歌も聞こえるじゃない?」
「そうだな。」
どこかで集まっているのか、遠くから聞こえる歌声は、揃っていて、はっきりと歌詞までは聞こえ無いが、その旋律は厳か。
讃美歌だろう、とは思うが、リナの知っている物とは違う。それもその筈で、今、二人は、結界の外の世界を旅して回っているのだ。
フィブリゾの消滅・グラウシェラーの弱体化で、リナ達が住んでいた地域の、神封じの結界が弱まり、外の世界に行ける様になった。と言っても、厳しい道のりに、わざわざ出て行く人間は少ない。
交流が途絶えて千年が立ち、道は無くなり、目印も無いし、地図も無いし、魔族の脅威も無い訳では無い。
が、そこは、天才魔導士と自負するリナ・インバースと、その彼女に超一流剣士と認められているガウリイ・ガブリエフだ、臆する事なく挑戦し、見事、外の世界へと踏み入れた。
それが、半年前の話。
色々な伝承、珍しい食材・伝統・風習を追い求め、気付けば、木枯らしの季節になっており、蓄えを増やしつつ、仮の住まいを求め、と、奔走し、やっと落ち着いたのが今日。
リナが、住む環境に拘り、時間が掛かったのだ。
魔導の勉強が出来、美味しい食材が有り、少しでも暖かい地域、と。
町が、何やら飾り付けていたのが、気になっていた所、掃除を終え、疲れた身体で行った食堂で、頼んでいない焼き菓子を振る舞われた。
で、何かあるのか、と食堂の人間に聞いてみたら、信じられない!といった視線で見られ、本を手渡された。
「悪いね、詳しく説明してやりたいが、この後、出掛けるんで、忙しいんだよ」
と、食堂の稼ぎ時とは思えない言葉に、リナは商売人の娘として、驚愕した。
そして、町の南の外れにある借家に戻り、暖炉の前を陣取り、それを読んでいたのだ。
「今日は、聖人の誕生日なんですって。それを祝って、飾り付けたり、焼き菓子食べたり、歌ったりしてるんだと思うわ」
「ほぉ〜盛大だな。で、何で唸ってたんだ?」
本から得た情報から、町の様子の理由は推測出来た。
その本は、聖人の一生が書かれてあったのだ。その聖人が産まれたとされる日付が、まさに、彼女達の今。であった。
「う〜ん、それがさ、聖人を身籠った聖母の話が不思議なのよ」
「不思議?」
「男の人を知らないのよ」
「ん?どういう事だ?だって、聖人とやらを産んだんだろ?相手が居なくちゃ、話にならないじゃないか」
ここに来て、やっとガウリイの上半身がソファから離れる。
内容が内容だ。無理も無いだろう。身籠るのは、異性との交友があってこそなのだから。
「さあ?そんな事知らないわよ」
「じゃあ、誰の子供なんだ?その聖人とやらは」
「神の子らしいわ」
「はあ?神??」
肩を竦めて言ったリナの言葉に、ガウリイの表情は胡散臭さを隠そうともしない。
「あたし達の世界でも、スィーフィードナイトてあるでしょ?それと似た様なもんじゃないの?この聖人は神格化されてるけど」
「ルナさんより偉いって事か?」
「そうなるのかしら?こうして、大々的に生誕を祝っている、て事は、信仰されているのかもね」
ドラゴンさえも跨いで通る、と言われているリナが、恐れている存在であるのが、その姉ルナ。
そのルナが、スィーフィードナイトなのだ、と聞かされても、ガウリイは不思議に思わなかった。
其ほど、彼女の纏う雰囲気は、格別なものであったし、「タダで世話になろう、て言うのかしら?」と拒絶する事を許さない笑顔は、ガウリイの心臓を縮小させる程。
剣の腕は、ガウリイ並みでは無いが、洗礼されており、手合わせした際、彼に本気を出させる程であった。が、結局、彼女が持っている特別な力を使っていなかったので、それを使われたら、勝負の女神は彼女に微笑んだであろう事は、予測出来る。
そんな、ガウリイとリナにとって圧倒的な存在であるルナより、尊い人間など、二人には考えも付かない。
想像を超える聖人の存在に、ガウリイは感嘆の溜め息を吐いた。
「うへぇ」
その顔は、ルナ以上の精神的圧迫を想像でもしたのか、蒼白。
同じ事を想像したのだろう、リナの身体がブルッと震えた。
「姉ちゃんの事を考えるのは止しましょ」
「そうだな」
震える声のリナ。それに続き、震える声で答え、ガウリイはソファから身体を剥がした。
ゆったりとした足取りで、暖炉の上で温められたヤカンを手にし、離れた場所の棚に置いてあった2つのカップに注ぐ。
その1つに、棚の引き出しに入っているチョコレートを3欠片程入れ、掻き混ぜると、部屋に甘い香りが漂う。
「ほい」
「ん。ありがと」
それをリナに渡し、ガウリイは彼女の隣に腰かける。
毛布が敷かれたそこは、暖炉の熱で柔らかな温もりがある。
ほぅ、と彼女の口から、溜め息が漏れた。
幸せそうな顔で、カップを傾けるリナを、ガウリイは幸せそうに見、ホットミルクを喉にゆっくりと通す。
「神さんの子供を産んだ人てのは、幸せだったのかな?」
「さあね、この本には、そこまで書かれて無いわ」
一息ついて、ふと疑問に思った事を、ガウリイは口にした。
答えを期待していなかったのか、リナの答えに、表情を変える事はなかった。
「こういう温もりを知らずに、母親になったんだろ?少し可哀想だよな」
リナの手を、柔らかく包み、ガウリイは瞼を薄く閉じる。
それを払う事なく、リナは目をパチクリとさせてから、キラキラとした目を、暖炉の火へと向け、口を開く。
「そうかしら?人の幸せはそれぞれでしょ?子供を産めただけでも、幸せと思う人も居るし、生涯を掛けて“何か“を成し遂げる事を幸せだ。と思う人も居る。
神に仕えている人なら、ただ、静かに信仰しているだけでも幸せだ。て思うでしょうしね。幸せだったのか?なんて、愚問だわ」
「そうか」
静かな声だが、説得力のあるその声に、ガウリイは目を細め、隣を見る。
その視線でか、リナがガウリイを仰ぎ見る。
「で?あんたの幸せは?」
「リナ」
「知ってる」
秒速の答えに、リナは満足そうに笑い、繋がれた手を、そのまま持ち上げる。
「あたしは、欲張りなの。あんただけじゃ、幸せになれないわ。魔導を極めたいし、美味しい物たくさん食べたい。やりたい事もある」
自分の頬に、彼の大きな手をあて刷り寄せ、リナは不敵に笑ってみせる。
「知ってる。とことん付き合うって言っただろ?リナが笑っていれば、オレは幸せなんだ」
「あら?あたしだけで良いの?無欲過ぎよ?」
「へ?」
「神の御子、だなんてだいそれた子供じゃなく、大事な人の子供を産む。そんな単純な幸せも、あたしは欲しいけど?」
握ったままの彼の手を、唇に寄せ、リナは微笑んだ。
一瞬驚いた顔をしたガウリイは、深い笑みを浮かべ、
「それは、オレの幸せでもあるぞ?そういう事なら、直ぐにでも協力するぜ?」
くいっ!とさして力を込めずとも、握ったままの手で、リナの身体を、自らの身体へ、と傾けさせた。
彼の広い胸に顔を埋め、リナはクスクスと笑う。
「協力は有り難いけど、今は遠慮願える?新しい文献が待っているのよ」
「え?!ちょ……その気にさせて??!」
「あたしは、今すぐ、とは言って無いわよ?協力して貰うのは、あたし達の世界に戻ってからよ。身重の身体に、無理をさせる気?元保護者さん?」
「くそぅ、この小悪魔めが!」
ギュウギュウと抱き締めてくる太い腕に、リナは笑いながら身を委ねる。
暖炉の前で、戯れている二人の左手首には、お揃いのブレスレットが。
暖炉の火で、橙色に輝くそれは、プラチナで作られた、シンプルなデザインで、剣を扱う二人が、結婚指輪の代わりに、と付けているものだ。
この冒険の旅は、二人の新婚旅行だったりする。
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宗教批判のつもりはありませんが、不快な思いをさせましたらスミマセン
ブログに載せたのに、少しだけ加筆修正しました。
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