【救い様が無い馬鹿】

−前編−

アメリアが、何かしら行動を起こす際、面倒を見てくれ、と頼まれるのは、良くある事だ。
大体、そういう時は面倒事だ、という事も。
それは、担任が休みを取ったその日も、同じ事だった。
副担任の英語教諭は、帰りのHRで、やはり俺に、「グレイワーズさん、彼女だけでは心配なので、ご同行お願いして良いかしら?」と、言ってきた。
アメリアが言い出した事は、正直な所、俺には関心の薄い事だった。
教室の噂の真相を確かめる為に、問題の時間まで残りたい。それが、アメリアが言い出した事。
関心は薄いが、それを受けたのは、心配だからだ。噂は信じてはいないが、彼女を密かに想っている奴等は少なからず居て、一人なのを良い事に、不埒な真似をされるかもしれないと。
それに、良い機会だとも思ったのだ。行動をする時は、前もって俺の予定を確認してくれ、と伝えるのに。
だが、これに邪魔な人間が居たんじゃ、迷惑以外なにものでも無い。
副担の英語教諭は、一般的に美人の分類に入る人間で、その教諭に、惨敗しているにも関わらず、しつこく想い続けている、馬鹿男が居る。
それが、
「ミリーナ!俺もこいつらに付き合うぜ!任せてくれ!問題なんか起こさせないからな!」
と、名乗りを上げて来た。
教諭の「お願い」という言葉が悔しかったのだろう、その前に思いっきり睨みを寄越して。
「ガウリイ!勿論、付き合うよな?!」
「まあ、良いが」
馬鹿男は、人相と口が悪い癖に、意外と怖がりで、道連れを誘ったその顔は、どう贔屓目に見ても、青褪めて見えた。
道連れとして選ばれたのは、馬鹿男の幼なじみ、俺と同じ剣道部の一員の、中身以外は恵まれたボケ男で、簡単に頷いたのは、何も考えていないからだ。
「来たい奴、他に居るか?!」
更に道連れが欲しかったのだろうが、馬鹿男の言葉に、頷く人間は居なかった。
当然の結果だろう。アメリアが確かめたいと言った噂は、信じている人間を探す方が、困難で、時間の無駄となる事が、明白。それに、付き合う気になるのは、馬鹿だけだろう。
夕暮れ時の教室は、薄暗くはあるが茜色、運動部の声が邪魔だが、吹奏楽部の音は情緒があり、雰囲気が実に良かった。
邪魔者さえいなければ。
剣道部のマネージャーと、部員、只それだけで、アメリアの面倒を押し付けられた。それが一年の一学期。
それから、何故か同じクラスが続き、三年目。頼まれなくとも、アメリアの暴走に付き合う覚悟は、とうに出来ていた。
受験に専念する為には、それを伝え、微妙な関係をはっきりさせるべきで、ずっと機会を伺っていたのだが、その折角の機会が、馬鹿男とボケ男の邪魔、という状況で、台無し。
しかも、アメリアの懸念を肯定するかの様に、ボケ男が何かを感じ取り、教室内を歩き回る始末。
不審なモノは、感じなかったが、念のために、と隠れられそうな所を見、やはり何も視認出来なかったのだが、ボケ男の状況は変わらず。
「噂って、確か外から見た、て話よね、なら、外から一度、見てみなきゃ」
少し思案していたアメリアが、顔を上げ、言うやいなや、窓をひらりと飛び越えた。
アメリアの暴走には、慣れたつもりでいた俺は、度肝を抜かれた。
もし窓の外に、人が居たとして、彼女のスカートの中を偶然見る、という幸運を、そいつが味わったかもしれない、と思うと、気が気で無く、慌ててアメリアの後を追い、窓から外に出た。
幸いな事に、そこに居たのは、教室の窓を見ようと、振り返ったアメリアしか居なかった。
ほっと胸を撫で下ろし、目が合った彼女の額に加減してデコピンを行使。
加減をした筈なのだが、彼女はそこを押さえ、
「痛い……」
「窓から飛び出るな。人を踏んだらどうするつもりだ?」
潤んだ大きな瞳で見上げてきた。
それに狼狽えそうになったが、仏頂面にする事で、それを隠した。
お目付け役の責務を果たすべく、注意をするのに、それが相応しい表情であったからだ。
「ごめんなさい」
「全く、人が居なかったから良いものの。大体、スリッパで外に出て良いのか?」
「……後で拭けば、問題無いかと…」
視線が泳いでいたが、深く追及する意味は無かったので、溜め息を吐き、教室へと視線を向ければ、横で明らかに安堵しているのを感じ、苦笑を堪えたものだ。
教室内の様子を伺うと、丁度、馬鹿男が出て行く所であった。
それで、教室の中には、教卓の近くにボケ男が一人立つだけ。
初めて会った時から、変な男だと思っていた。目の前で生きているのに、どこかぼんやりしていて、掴み所が無く、不気味だと。
その雰囲気が、何故か、その瞬間一層濃くなった。
そして……干渉を拒む様に、中から拒絶された。窓とカーテンによって。
「うそ……」
「おい!ガウリイ!!」
乾いた声を横に、中へと呼び掛けると同時に、窓に手を掛けるが、微動だにしなかった。
その事実は、アメリアの悲痛な声を呼んだ。
「ガウリイさん?!」
「ガウリイ!返事をしろ!」
「ガウリイさん!!ガウリイさん!」
こちらからの呼び掛けが、聞こえていないのか、反応が無かった。
「どうしよう…わたしの所為だわ…こんな事になるなんて」
「まだ、何かあった。と決まった訳じゃないだろう。校舎に戻るぞ。」
蒼白になったアメリアの細い右腕を掴み、宣言と共に、向かうは渡り廊下。
そこが、その時居た場所から、一番近い校舎への入り口だ。
汚れたスリッパを脱ぐ事さえ忘却する程急いだ。
辿り着いた教室の前、そこには、思案顔の男が一人。
馬鹿男が立っていたのは、教卓側の引き戸の前。
馬鹿男を退け、引き戸にある小さな窓から、アメリアと共に、中の様子を見。
閉ざされる前と、何ら変わらず、そこに立っているボケ男の無事な姿に安堵の溜め息が出た所で、固まった。
引き戸が、動かなかったのだ。教室の引き戸に、鍵は無い。
「ガウリイさん!ガウリイさん!」
「おい!開けろ!」
必死で中への呼び掛け。アメリアは涙さえ目に浮かべ。
野次馬がやってきても構わず叫んでいた。
「何の騒ぎ?」
冷静なその女の声を聞くまで。
振り返って見たのは、アメリアと肩を並べる程、低い背の女。
何故だが、安心したのは、その纏う雰囲気の大きさ故だったのだろう。
それは、アメリアも同じだった様だ。
暴走しそうになったアメリアを押さえ、落ち着いてから状況をその女へと説明した。
野次馬が居る時点で、手遅れだろうが、進路を決める大事な時期に、騒ぎを起こしたら、提案者のアメリアが真っ先にに叩かれる可能性が高い。それは、避けたかったのだ。
幸いにして、野次馬の、興味は薄かった。
馬鹿男が、珍しく気を使ったからだが、許可を出した副担に、迷惑を掛けたく無い一心からであろう。というのは推理するまでも無い。
説明を聞いた女が、引き戸を何の苦もなく開けた事で、事態は好転したかに思えた。
アメリアと目配せし、その女が踏み出す前に、中へと入ろうとした。
が、拒絶。
何も無い筈の空間に、まるで見えない壁でもあるかの様に、俺達は中へと進めなかったのだ。
隣で、馬鹿男が顔を険しくさせた。こいつも、一緒に入ろうとして拒まれたのだ。
だというのに、俺達3人を退け、その女は、すんなりと入室を果たした。
変わらず、俺達が入ろうとすると拒絶する何か。
女が何かに向かって話をしているのも手伝い、緊張感がその場に満ち、その女が倒れた事によって、それは切れた。