【セイント バレンタイン】−下− |
若い看守が、ヴァレンチーノを訪ねてから、幾日か経ち、再び、その看守が、彼の元に現れたのは、昼休みの頃。 「アメリアを、説得して欲しい」 看守の表情には、余裕がなく、声にも、焦りが見られ、ヴァレンチーノは、辛そうな表情で、黙ったまま、続けさせる。 「あいつ、取り調べで、自分は、ヴァレンチーノの娘だと、ずっと言い張っている。幸い、結婚の事には、黙秘を貫いているが、このままでは……」 「お主は、あれと親しくしてくれておるのだな」 辛そうに歪められた顔に、ヴァレンチーノは安堵し、微笑みを浮かべる。 自分が、いくら親子関係を否定しても、真っ直ぐな娘は、そうでは無いであろう。というのは、判っていた。 それでも、僅かな期待に、あれは娘などではない。と、言い張っていたのだが。 「何故、笑う?」 「あれは、どうも強情での、自分が正しいと思ったら、ワシの言う事でも、聞き入れてくれぬ」 笑った事に、怪訝を露にした看守に、ヴァレンチーノは、表情を変えぬまま、困った声を出した。 「娘が、処刑されても、構わないという事か?」 「そうでは無い。将来豊かな、娘じゃ。良い婿殿に出会い、子を授かるべく、娘。処刑など、許される道理が無い」 「なら、笑っている場合では無いであろう!」 自らの問いに、微笑みながら首を振ったヴァレンチーノに、看守は、思わず、檻の間に手を入れ、胸ぐらを掴む。 「明日、ワシの処刑がある」 「?!」 静かに、静か過ぎる声、それに、弾かれる様に、表情を引き攣らせる看守。 「すまぬが、明日、朝一番に、もう一度、来ては来れぬか?今日は、静かに、神への最後の祈りを捧げたいのじゃ」 「……アメリアには?」 「自分の娘でもないのに、伝える必要など、無いであろう?」 ずるり、と落ちた、看守の手を、払う事なく、ヴァレンチーノは、微笑みのまま、静かな声。 「……何故、今?俺は、あんたを取り調べる人間では無いだろう」 「話は済んだ。帰ってくれぬか?」 表情を厳しくし、問い掛けた看守。 踵を返し、牢の奥へと向かう事で、ヴァレンチーノは、彼の手が届かない所まで行き、膝を付き、顔を僅かに上げ、手を組み、瞳を閉じた。 どう言っても、応えてはくれぬ、と悟った看守は、 「くそったれ!」 ガン!と檻を叩き、足音激しく、牢を離れて行く。 半日が過ぎ、更に時間は流れ、あっと言う間に、朝を迎えてしまう。 「約束通り、来たぞ」 「おお、すまぬな」 不機嫌な看守に対し、ヴァレンチーノは、晴れやかなものであった。 場所は、処刑準備室。 普段、処刑の前には、司教によるお祈りがあるのだが、その前に、2人だけで話させて欲しい。と、ヴァレンチーノが申し出て、それが受け入れられた。 身体検査が、今の看守によって行われ、「異常なし」と判断を下すと、他の看守達は、外へと出て行った所だ。 それでも、安全の為、という事で、対話は、檻を挟んだものに。 「あんた、悔しいとか、恐いと、感じないのか?」 檻の奥に立つのは、繊細とは無縁そうな外見だが、処刑を前に、平然としているヴァレンチーノに、違和感を感じたのであろう、看守は、変な物でも見る様な目で、彼を見る。 「恐れなどあるものか。ワシは、神の教えに従い、行動してきた。その結果が、これならば、神のお導きなのであろう」 まるで、聖書を持っているかの様な形の右手を胸に、ヴァレンチーノは静かに微笑む。 勿論、右手には何も無いのだが、看守の目には、確かに、聖書が見えた。 そんな訳がない!と慌てて否定し、看守は不機嫌そうに口を開く。 「ちっ!何無駄に悟っているんだ!娘の処刑が決まるかどうか、て時でもあるんだぞ?」 「神を、信じておる。それだけじゃ」 「アメリアを、説得出来るのは、あんただけだろ?!」 とうとう看守は、叫ぶ様に言い、檻を掴む。 「何も、あれを説得するのが、父親代わりのワシだけではあるまい」 「何?」 「あれの為に、そこまで言えるのなら、その気持ちを、あれに伝えれば良い」 ピクリと眉を震わせた看守に、ゆったりと歩み寄り、ヴァレンチーノは、彼の手を取る。 「それに、国など、どこにでもある。そなたは、どこにでも行ける。勿論、あれもな」 「?!!」 「信頼出来る者に、こうして、託す事が出来るのじゃ、これを、神のお導きと言わず、何と言う?」 驚いた顔で、自分を見る看守に、ヴァレンチーノは、とても晴れやかに微笑み、看守の手に、1枚のカードを握らせる。 「娘を、アメリアを頼む」 「………ああ」 低い声は、かなり小さかった。 応えて良いものか?と悩んだものの、看守は、重く頷き、カードを懐に忍ばせた。 「達者での」 太い腕を、檻の間に通らせ、看守の背中を叩くヴァレンチーノ。 それに、どう反応したら良いか、太い腕の中、看守が迷っていると、ヴァレンチーノが、悔しげに呟く。 「そなたの、父親になれたら、と、あの時、思ったのだが、それは、無理な夢であったの」 「あんたは、十分、父親だ」 「そうか」 ギュッ!と一瞬強く抱き締めるヴァレンチーノ。 その力が、するりと抜け、檻の間を戻り始めた。と、思ったら、 ドン!と、衝撃を感じ、看守がよろける。 「何を?!!」 「あれを連れ、逃げろ。セイルーンに、行くのじゃ」 慌てて顔を上げた看守が見たものは、金属の檻を、腕力のみで、引き抜いた、ヴァレンチーノの姿。 「んな?!!」 驚愕に見開かれる看守の目、 「外に、出るのじゃ。ワシが、引き付ける。その間に、あれを連れ出せ」 自分が抜け出るだけの隙間を作り、金属の棒を手にするヴァレンチーノ。 次の瞬間、ブン!という鋭い音と共に、棒が飛び、ドガッ!という音を立て、レンガに突き刺さる。 冷たい物が、背中を流れるのを意識しながら、看守は、慌てて、ドアを叩く。 「助けてくれ!早く!開けてくれ!」 彼が、叫んでいる間も、ヴァレンチーノにより、あちこちの壁に、棒が突き刺さっていく。 「どうした!な??!」 開いたドア、責任者らしき中年の男に、金属の棒が迫り、中年の男は、慌てて、それを避けた。 その瞬間、騒ぎは起こった。 暴れるヴァレンチーノに、応戦する看守達、右往左往する中、一人の看守だけは、意思を持って、行動していた。 「うぉ〜〜!正義の鉄槌、受けてみよー!!」 がっしりした体格は、飾りでは無かった。 ヴァレンチーノが振るう金属の棒に、繰り出される、蹴りや拳に、看守達は、次々と倒れて行く。 「処刑人が暴れてる!応援に行ってくれ!」 擦れ違う仲間達に、叫びながら走る看守は、心の葛藤と戦っていた。 彼と共に戦う道も、あったのでは?と。だが、彼の意思は、それを望んでいない。というのも、判っている。 それでも、父親になりたかった。と言った、あの男と、このまま、会えなくなるのも、嫌なのだ。 つぅと流れた物を、乱暴に拭い、看守は走った。 彼の願いを叶える為に。 「う……ひっく………」 「急げ、気付かれない内に、国境を越えるんだ」 止まる事のない涙を流す、アメリアの肩を抱き、看守は足を早め様とする。 「父さんが処刑されるなら、わたしも受ける覚悟を、していたのに……父さんの馬鹿」 「その、親父さんの、願いだ。あんたには、生きて欲しいというな」 引っ張られる形で歩くアメリアに、何の感情も乗せずに、看守は言った。 が、彼も、後悔や自責、痛恨の念に囚われている。 ヴァレンチーノに託されたカードには、どう手配したのか、馬車を用意してある場所が記されていた。 その裏には、 −幸せに− とだけ、書かれてあったという。 この後の事は、どこにも記されていない。 |
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