【セイント バレンタイン】−中− |
満足な取り調べもなく、1週間も経たない内に、ヴァレンチーノの罪が、確定した。 帝国への反逆者と、レッテルが貼られた彼の娘、アメリアにも、その審議は、掛けられていた。 ヴァレンチーノが、実の娘では無い。彼女は関係ない。と数少ない取り調べで、訴えてきたが、それも叶わず。 娘を巻き込み、守れない自分に、牢の中、打ちひしがれているヴァレンチーノ。 その牢に、近付く一人の看守が。 「あんたが、ヴァレンチーノか?」 素っ気ない声に、ゆるりと、視線をやるヴァレンチーノ。 視線の先には、年の頃は20代前半の男が居た。 暗がりでもわかる銀の髪は短く、平均よりも高い身長に、切れ長の鋭い目と、薄い唇、絞られた細い身体、そして、特筆すべきは、薄い明かりの中、青々と見えるその肌。 「主(ぬし)は?」 「ヴァレンチーノか、と聞いているのだが?」 いきなりな来訪者に、当然、ヴァレンチーノは、怪訝そうにするが、相手は、取り合わなず、冷めた口調で繰り返されるだけ。 「うむ。いかにも」 仕方なく、重々しく頷くと、相手は、若干疲れた溜め息を吐く。 「どこが、素敵で恰好良いだ。あいつ……」 つい、漏れてしまったのだろう、その呟きに、ヴァレンチーノは、益々怪訝な表情を。 「アメリアからの伝言だ。わたしは大丈夫だから、心配しないで。だとな」 「ふむ、そうか。手間を掛けたの」 看守の、冷静な声と言葉に、ヴァレンチーノは、冷めた口調と態度で返した。 あの手、この手で、揺さぶりを掛けてくる皇帝。 その中で、一番質が悪い、揺さぶりが、これだったのだ。 娘の名を出し、元気か?と。それで、自分自身が取り乱すのを、誘っている。というのは、判っていたので、その時も、冷静な態度で返している。 表情を動かさないヴァレンチーノを、どう思ったのか、ピクリと眉を動かした看守。 気難しい表情へと変えると、不満そうに、口を開く。 「所で、ピクルスの漬け方を、教えて欲しいのだが」 「ぬ?」 何故、ピクルス?と、不審そのものの視線を、ヴァレンチーノが送ると、看守は、不機嫌な表情を浮かべた。 「取り調べが、容赦ないから、疲れてるだろうと、食べたい物を聞いたら、人参のピクルスと言われてな。だが、俺は、そんなもんの作り方を知らない。で、作り方を聞いたら、父さんに聞いてくれ。と。そのついでに、先の伝言を頼まれた」 素っ気ない言い方、紫色に染まる肌、ガリガリと頭を掻く手、それらを注意深く見、ヴァレンチーノは、ぐぅわぁしぃ!と、牢の檻を掴み、立ち上がった。 その勢いに、看守が後退り、 「アメリアに、会ったのだな?」 静かな声で、ヴァレンチーノが問い掛ける。 それに、小さく頷く看守。 「ああ。あんたが、怪我をしていないか、心配していた」 「アメリアは、大事ないか?元気にしておるのか?」 「元気ではある」 つい大声を出したくなるのを堪え、ヒソヒソ問い掛けたヴァレンチーノに、看守は、端的に応えた。 その意味する所を知り、顔を顰めるヴァレンチーノ。 彼は、取り調べの時、拷問に掛けられていた。 囚人服の下は、傷だらけで、簡単な手当てさえもされていない。 そんな処遇を、娘も受けているのだ。と悟り、ヴァレンチーノは苦い気持ちになった。 「ワシは、間違っておったのか?」 「さあな。皇帝にとっては、間違っているのだろうさ。だが、あいつは、あんたを正しい。と言っていた」 「アメリア………」 今ここには居ない娘を、抱き締めたい衝動、傷を負わせてしまった自身の不甲斐なさに、身体を震わせるヴァレンチーノ。 その身体を、看守は持っていた警棒で突く。 カン! 「ぐっ??」 檻に当たり、威力は減ったものの、傷に当たり、顔を顰めるヴァレンチーノ。 そこに、 「どうした?」 声と共に現れたのは、青い髪の中年の看守。 「いえ。反逆者で遊んでいただけです」 若い看守は、警棒を軽く降って、腰に納める。 その動きが、下がれ、と言っている様に見え、身体を引きずる様に、ヴァレンチーノは後退。 「あまり、やりすぎるなよ。反逆者は、公開処刑が決まりなんだ」 「はい。心得てます」 若い看守が、頭を下げると、何事も無かった様に、中年の看守は、踵を返す。 頭を下げたまま見送ると、残った若い看守は、顔を上げ、牢に視線を送る。 「咄嗟とは言え、すまん」 「いや、正しい判断じゃ。謝る事などない」 「で、人参のピクルスの作り方なんだが……」 「その事なんじゃが……」 ヴァレンチーノが、彼を信じても良い。と確定させたのは、これであった。 人参のピクルスは、彼女の母親の味を思い出しながら、彼女が作っていたものであったからだ。 「つまり、あんたの様子が気掛かりで、俺をここに寄越した。て訳か。全く、それならそうと……て、あんたは、それだけでは、信用しなかったな」 事情を聞き、眉を寄せた看守は、ハタッと、その事を思い出した。 「まあ、似た様な揺さぶりを、他にされたからの。アメリアの無事を考えれば、下手な反応は出来ぬというもの」 「不思議だな、あんた達は」 「何ゆえ、そう思われるのじゃ?」 どこか、憧憬にも似た視線を受け、ヴァレンチーノは首を傾げた。 看守は、ゆっくりと苦笑を浮かべると、自らを指差す。 「この通り、こんな肌だ。気味が悪かったんだろうな、道端に落ちていたんだとよ。そこに、宮廷の大臣の、下働きが拾ってくれたって訳さ」 「何と……」 まるで、我が事の様に、悲壮な表情を浮かべるヴァレンチーノに、看守は、苦笑を一瞬和らげたが、すぐに、苦いものを取り戻す。 「そいつが拾ったのは、親切心からじゃない。自分の代わりに、汚い仕事を引き受ける人間が欲しかっただけさ。ま、そのお陰で、色々鍛錬を受けられ、学も付けられて、こうして、宮廷内の仕事が出来ているんだがな」 「その様な事が」 「それで、満足してたのにな。親戚筋とはいえ、本当の親子でも無いのに、互いを気遣い、互いを深く知っている。何故、そこまで出来る?」 まるで、何かにすがる様な視線。その中に含まれる、僅かな怒り。 ヴァレンチーノは、アメリアに向ける様な、暖かな微笑みで、それに応える。 「理屈ではないからの、何故と問われても、説明は出来ぬ」 「そうか」 「そなたが、受けられ無かった物は、きっと見付かる。だから、安心するのじゃ」 素っ気ない中に、残念さを感じ、ヴァレンチーノは、柔らかな口調で言い、 「心清らかな者に、神のお導きがあらんことを」 と、厳かな声で、簡単な祈りを捧げた。 「心清らか??」 「お主の事じゃよ。アメリアを気遣い、声を掛け、その願いを、叶える為、危険を冒し、ここまで訪ねて来てくれたじゃろ?」 いきなりの祈りに、眉を顰めた看守に、ヴァレンチーノは言って、不器用なウインクを送る。 それに、僅かだが、看守の口元が、緩む。 「あんたも、変な奴だな」 途端、嬉しそうに笑むヴァレンチーノ。 「お、なんじゃ、その方が、良いぞ、お主」 「……で、あんたは、伝言ないのか?明日、人参のピクルスの、レシピを聞きに、行かねばならんからな」 くるりと、踵を返し、背中を向け、口早に言う看守に、ヴァレンチーノは、笑みのまま口を開く。 「もう、会えぬかも知れんが、達者に暮らせと」 「………また、来る」 応諾も、拒絶もせずに、看守は踵を返し、ヴァレンチーノから見て右手へと消えていった。 「神よ、未来豊かな子供達に、ご慈悲をお与え下され」 そっと手を組んだ、ヴァレンチーノの声は、冷えた牢に静かに消えて行くのであった。 |
≪続く≫ |