【桜舞う】

1 −再会−

次の日になっても、ガウリイは昨夜の家出少女の事が気になっていた。
線が細い少女が、鞄一つを背負い、夜の街を歩くのは、余りにも危険で、何かの事件に巻き込まれてやいないか、心配でならないのだ。
そんな気掛かりを抱えながら、制服に着替えたガウリイは、事務室に入る。
その姿を見るなり、先に来ていたゼロスが、ニコリと微笑んだ。
「ガウリイさん、やっと来ましたね」
まるで、遅刻をした人物を責める様な言葉だが、今は、始業時間よりかなり早い時間。
事件の情報が、手っ取り早く手に入る警備兵の詰所。あの少女の事が気になる余り、ガウリイは早く出勤したのだ。
「でも、まだ交代まで時間あるだろ?」
「ああ、その事でしたら、僕達は巡回から外して頂きましたから」
首を傾げたガウリイに、ゼロスはサラリと言い切った。
昨日、この時期は、忙しいと言われていたのに、巡回から外れるというのは、どういう事なのか、ガウリイには分からない。
不思議そうな表情をしたガウリイに、ゼロスは、笑顔を崩さず、無言の疑問に答える。
「ご安心を。仕事の一貫ですから。さあ、行きましょうか」
笑顔の上司に連れられ、ガウリイは朝の街へと出た。

「ラーダさんのお宅はご存知ですか?」
「中央区にあるでっかい屋敷だろ?」
ゼロスの問いに、ガウリイは小さく頷いた。
この街で、ラーダと聞いて分からぬ者は居ない。大昔は、この辺りの大地主。代々、政治家を排出し、その発言力は強く、国王にまで進言できるのでは?と言われている程だ。
その邸宅があるのが、国の、中枢機関が揃った区域の、中央区。そこの巡回は、近衛兵団が受け持つ程、国の重要な人物達が住む。その中にありながら、一際大きな屋敷が、ラーダ家の邸宅である。
「今向かっているのは、その御邸宅です」
「はあ?!」
思わず足を止めたガウリイを、ゼロスは足を止め見る。
驚きに目を見開いた彼を、ゼロスは可笑しそうに笑う。
「何も、そんなに驚く事ないじゃないですか。巡回を外れられるだけの理由には、妥当でしょう?」
「そりゃあ、そうだろうが……」
「実は、個人的に付き合いがありまして、色々な相談を受けているのですよ」
「へぇ〜」
気のないガウリイの生返事に、ゼロスは愉しそうに微笑みを浮かべる。
彼等との付き合いがある事を言うと、大概は驚かれたり、尊敬されたりしかなかったので、彼の反応を純粋に楽しんでいるのだ。
「それで、今朝方に、そちらから遣いが来ましてね。困った事が起こったから、来て欲しい。と頼まれたのですよ」
「だからって、何でオレまで?ゼロスだけ行けば良いだろう?」
歩き出したゼロスの後を追い、ガウリイは首を傾げる。
わざわざ朝早くに遣いを出す、重要で緊急な問題ならば、すぐに動いた方が、解決は早い方が良い。しかも、ゼロスはそこと個人的な付き合いがあり、一人で向かっても、何の問題も無いのだ。
「深刻な問題ならば、貴方は連れて行けませんよ。その場合、僕の所へは、遣いの者では無く、馬車が来ます。つまり、今回は、深刻な問題では無いけれど、放っても置けない。その程度でしょうね」
「いや、オレが言いたいのは、堅苦しいの苦手だから、ゼロス一人で行けば良いんじゃないかなあ。と思うんだが」
「なるほど。それは、一応、仕事なので、パートナーである貴方に、ご同行して頂こうか、と思いまして」
ガウリイの不服そうな問いに、ゼロスは益々愉しそうに微笑む。
それとは対照的に、ガウリイの表情は、更に嫌そうものに。
あの少女に関する事件が無かったか、気が気で無いのに、情報が手に入る場所から遠ざかるのが、嫌でならないのだ。
「面倒な奴と組まされたなぁ」
そのボヤキに、ゼロスは「はっはっは」と朗らかに笑った。

中央区は、壁で囲まれており、その東西南北には関門がある。そして、街は中央区を取り囲む様に東西南北の大きな区域に分けられ、更にその中で、番地分けされる。
その、東西南北の区域の中央が1番地と呼ばれ、警備兵の詰め所や、役所が鎮座する。
ガウリイが勤めるのは、西区の詰め所。

朝日に向かって、二人で歩き、ガウリイとゼロスは、西の関門から、中央区へと踏み入れた。
中央区は、幅広の道が多い。それは、馬車を使う人間が多い事と、防災の為だ。
王宮を中心とした造りの街中を歩き、着いたのは、周りを遥かに凌ぐ大きさの屋敷。
使用人に連れられ、中へと通されると、黒髪の紳士が、待ち受けていた。
「ゼロス殿お待ちしておりました」
座っていた皮張りの椅子から腰を上げ、その部屋ならびに屋敷の主であるラーダは頭を下げる。
年の頃なら、50代前半といった所か、精彩な顔に、スマートな身体、身に付けている物は、どれも品の良い光沢を帯び、纏う空気は、ピンとしており、どこにも隙が無い様に見える。
初対面であるガウリイとラーダの紹介を、ゼロスは簡潔に済まし、本題に入る。
「さて、何があったのですか?」
「下の娘が、寮から消えてしまいまして…」
事情を話したラーダの表情は、心配ではなく、困り、呆れた物で、ガウリイは違和感を感じた。
だが、その隣に座っているゼロスはそのまま続ける。
「では、僕が呼ばれたのは、彼女を探し出す為ですか?」
「今の所、身代金の要求は無いので、騒ぎを大きくしては…と思い、ゼロス殿をお呼びした次第です」
「なるほど」
ふむふむと神妙に頷きながら、ゼロスは内心で嘲笑する。素直に世間体が気になるのだ。と言えば良いものを。と。
そこに、横から声が発せられる。
「心当たりは?」
ずっと黙っていたガウリイが、どうにも保身に走っている様に感じるラーダに、我慢が出来ず、口を開いたのだ。
「幾つか当たらせましたが、そこには……」
「そうでしょうとも。でなければ、僕が呼ばれる理由はありませんよね。
ご心痛、お察し致します。では、今の彼女の姿絵を拝借願えますか?僕は、彼女が幼い頃、一度会っただけですし、ガウリイさんは、言わずもがなですしね」
溜め息混じりのラーダの言葉に、ゼロスは眉を下げ頷き、真剣な視線を相手に向けると、
「こちらです」
ラーダの傍に控えていた初老の男性が、抱えていた物を、机の上に置く。
大きさは、ガウリイの片手の手を広げた程の板には、一人の少女が描かれてある。
「有り難うございます。では、早速探してみますね。確か、サンクチュ学院でしたね。東区から捜索してみます」
絵を持ち、立ち上がったゼロスに続き、ガウリイも立ち上がり、頭を下げたラーダに見送られ、部屋を出た。
「一応、東区を歩いてみましょうかね」
「その前に、それ見せてくれないか?」
やれやれとばかりに肩を竦めたゼロスに、ガウリイは彼が持つ板を要求した。
「これですか?良いですけど。ガウリイさん、目は良い方ですよね?」
「まあな」
不思議そうなゼロスから、板を受け取ったガウリイは、上の空で答えた。
先程、机上に乗せられた時、ガウリイの位置からも、その板に描かれた少女は見えた。
その少女が、昨夜の少女と同一人物であったのだから、内心驚いていたが、それ以上に驚いたのは、その表情。
改めて板に描かれた少女を見れば、昨夜は分からなかった色彩が、色鮮やかに、ガウリイの目に飛び込んで来る。
月夜の下、緋色に見えた瞳は、紅茶色で、あの柔らかそうな髪も、瞳と同じ色。ピンク色の頬と唇。そして、深窓の令嬢らしい、フリルの付いたピンク色のブラウスを着ている。
「お好みですか?」
「何で、つまらなさそうな顔、してんのかな」
意外だ。とばかりに、物珍しそうに言ったゼロスに、ガウリイは素直な疑問を口にした。
描かれている少女の表情が、昨夜の様な、生き生きとした表情が無く、作り笑いを浮かべている様に見えたのだ。
これが、ガウリイが二度目に会った、彼女の印象であった。
≪続く≫