【桜舞う】

2 −始まり−

「つまらなさそう……ですか?」
板をガウリイから返して貰い、ゼロスは眉を寄せる。
うっすらと微笑みを浮かべている、少女の肖像画。それを見て、誰がつまらなさそうだと思うだろう。
だが、ガウリイは、つまらなさそうな表情をしている。と感じた。
それは、昨夜の彼女の、鮮烈な感情の激しさを、目の当たりしたから、だけでは無い。何となく、そう感じたのだ。
「何となくな」
「貴方は、恐ろしい方だ」
肩を竦めたガウリイに、ゼロスはクスクスと、楽しむ様に笑う。
その笑みに、ガウリイは、内心“やはり”と確信する。
それは上司への猜疑心。いつも微笑みを絶やさない上司に、ガウリイは、密かに警戒をしていた。
仕事上では、信頼しているが、人間性は、信用出来ない。と、心のどこかが、警鐘を鳴らしていたのだ。理由は、分からなかったが、今、彼は分かった。上司の微笑みは、どこか毒があると。
「出来れば、敵として、出会いたかったですね。その方が、楽しめたでしょうに」
恐ろしいと言った口で、上司は逆の意味の言葉を、楽しそうに口にした。
まるで、面白い玩具を手にした子供の様に。
ゾッとしながらも、ガウリイは口を開く。
「その子を、探すんだよな?」
「ええ」
「なら、西区だ」
来た道を戻り始めたガウリイを、暫しゼロスは瞬きを繰り返しながら見、すぐに微笑みを取り戻し、門番に一言告げてから、後を追う。
「それも、何となく。ですか?」
「いや。昨日、仕事帰りに見掛けた。声掛け様としたら、痴漢と間違われて、逃げられちまったけどな」
「おやまあ。それはそれは」
珍しく大きく目を見開き言い、すぐにいつもの糸目に戻ると、ゼロスは、
「痴漢に間違われる様な行為をした。となると、僕の管理責任が問われてしまいますね」
と言うと、困った表情をする。
「あのなぁ、お子様に手を出す程、不自由はしてないぞ。オレ」
てっきり、会った事がある事を、驚かれた。と思っていたガウリイは、違う所で驚かれていた事に、肩を落とす。
顔が良く、性格も柔和な彼は、当然付き合った女性の数は多い。
しかも、その歴代の彼女達は、出る所が出ていて、色気があり、性格は、落ち着いたものであった。
対して、少女は、女性らしい膨らみは無く、いきなり人を変質者と決め付ける様な、激しい性格。
まるっきり、タイプとは異なるのだ。
「勘違いだとしても、ですよ。そういう事件は、女性が被害を訴えたら、ほぼ有罪になりますから」
「ええ?!だって、何にもしてないんだぜ?!」
「有罪がお嫌でしたら、彼女と良く話合って、理解して頂くしかないですね」
「話聞いてくれたら、良いんだけどな……」
突き放した様な言い方の、ゼロスの言葉に、ガウリイは鼻に皺を寄せた。
西区に戻ると、少女とガウリイが出会った、桜の木の下に、二人は来ていた。
「で?こちらからどちらへ行かれたんですか?」
「向こうだ。そこから先は、分からん」
「国から、出るおつもりかも知れませんね」
彼女が消えた方向へと視線を向けると、ゼロスは言いながら歩き出した。
その後を追い、ガウリイも歩き出す。
その方向は、隣の国へと向かう街道へと、繋がっているのだ。
「こんな感じの女の子、知りませんか?」
道すがらの聞き込みは、騒ぎを大きくしたくない。というラーダの意向に添う為に、ゼロスが改めて描いた似顔絵で行う事に。
特徴を捉えただけの、簡単な似顔絵なので、適当な言い訳ができるからだ。
「いや?どうかしたのかい?兵隊さん」
「僕の知り合いが、街中で彼女を見掛け、見初めたらしいのですよ。で、探してくれないか、と頼まれてしまいましてね。仕事の合間に、こうして探している訳です」
制服を活かし、ゼロスは笑顔で、目の前の相手に答える。
すると、
「そうかい。そりゃ大変だ。気に掛けておくよ」
と、屋台のオヤジは、まかせとけ。とばかりに、親指を立てる。
そんなやりとりを続け、彼女が国境方面へと向かっていた。という目撃情報が出て来た。
その目撃情報は、朝の早い時間で、彼女は、西区で一夜を過ごした事になる。
何事も無かった事に安心すると共に、どこで一夜を過ごしたのか、ガウリイは気になった。
野宿するには、まだ寒い時期。しかも、酒を飲んでいる人間が、多い時期だ。危ない思いや、寒い思いはしていないだろうか。と。
幾つもの情報を元に、二人の足は、国外れへと向かう。そして、国境の近くまで来た所で、足が止まった。
「これ以上は、範疇を越えますし、打ち切りですかねぇ」
「ここまで来て、何言ってるんだよ。それに、何て説明するつもり何だ?」
顎に指を当て、首を傾げたゼロスに、ガウリイは不服を露にした。
彼女に近付きつつあるのに、捜索するのを止める理由が、分からないのだ。
「そう言われましてもね。僕は、この国の兵士。いくらラーダさんの頼みでも、国から出てまで探す程の義理は、ありません」
「国から出なきゃ良いだろ」
上司の、お役所仕事の徹底的ぶりに、嫌気が差し、ガウリイの言い方は冷たい物に。
それに、気を悪くする事もなく、ゼロスは反論する。
「ですが、この辺りは、余り治安が良いとは言えません。そんな所に、彼女が居ると思いますか?」
「もしかしたら、親が知らない、知り合いが住んでいるかも知れないだろ」
「学校は、中央区の東側で、その寮は学校の敷地内。勿論、ご学友も、中央区の人間だけ。親類縁者は中央区のみ。あれだけの家ですから、出掛ける時は、護衛付きでしょうから、親御さんが知らない知り合いが、こんな所にいる可能性は……」
ガウリイの言葉を、否定する言葉を連ねていたゼロスの口が、そこで止まり、少し唸ってから再び口を開く。
「一つだけあります。ただそれは、彼女が、知らない筈の、心当たり。それでも宜しければ、ご案内しましょうか?」
本人が知らないというのに、心当たりだという矛盾。それは、どんな場所なのか?
頷いたガウリイが、案内されたのは、低所得者達の家々を通り過ぎた、寂れた所にあった。
管理する人間がいないのだろう。草や蔓は伸び放題で、道は消えかけていて。風雨に侵食され、イビツな形に変形し、苔だらけの石が、幾つも並んでいるそこは、身寄りの無い者達の墓場。
湿った空気、緑と空の青以外、色が無いその世界に、一ヶ所だけ、鮮やかな色が、ガウリイの目に移った。
「居た……」
幻でも見たかの様に、呆然とするガウリイ。
その視線の先には、墓標の前で、手を合わせている一人の少女の後ろ姿。
彼女が供えたのだろう。赤い花びらが、墓標の前に置いてある。
「リナさん。探しましたよ」
ゼロスが声を掛けると、彼女の背中がビクリと震え、ゆっくりと振り返った。
彼女を探す事に夢中で、名前を聞くのを忘れていたガウリイの胸が、“リナ”という響きに、ざわめき、跳ねる。
「お父様は、やっぱり、あんたに頼んだのね。会いたくなかったわ、ゼロ……」
振り返りながらの、リナの言葉が、途切れる。
嫌そうに片眉を吊り上げていたその表情が、引き攣り、両方の眉が吊り上がり、
「昨日の痴漢!!」
ガウリイを指差し、叫ぶや否や、何かを、彼に投げ付ける。
「?!!……あっっっぶねぇ…」
それを何とか避けたガウリイは、ドゴッという、威勢の良い音がした方を見る。
そこには、ガウリイの頭部より大きな石が、地面に埋まる様に落ちていた。
つい先程まで、そこに石はなかったので、彼女が投げたという事で。
「ちっ!仕損じたか」
ガウリイの背中から聞こえた、激しい舌打ちは、本気で仕止めるつもりであったという事。
激しい性格の彼女は、その行動も激しい様で、大人しく描かれていた肖像画を、激しく裏切り、細い女の子というガウリイのイメージを、粉末になる程砕いた。
「ぷっっっっ!!あっはっはっはっはっ!すっげぇ!」
故人が静かに眠る、墓場での殺人未遂、というショッキングな事件は、被害者の馬鹿笑いという、何とも締まらないオチが付いた。
≪続く≫