【桜舞う】

8 −変化−

日差しは日々強くなり、木が青々とした葉を繁らせ、季節は夏に向かい、確実に変化している。そんな、ある日。
「ガウリイさん、宜しいですか?」
勤務前のガウリイを、ゼロスが談話室へと、呼び入れた。
「リナさんの所へ、頻繁に伺がっている。と、ラーダさんから聞き及びましたよ。そういう事は、僕に教えて下さらないと、困ります」
幾つもある机の、部屋の一番奥に着くなり、ゼロスは困った様に、ガウリイを見た。
それは、昨日の事だ。
付き合いで出席した、ある集まりで、ラーダに会い、それを聞かされたのだった。
その問題のガウリイは、
「勤務外の事を、報告する必要、ないだろ?」
と不満そのもの、といった態度を示した。
それに、溜め息を吐くゼロス。
「勝手をされては、困ります。聞かされて、内心ビックリしましたよ」
「勝手て。ただ会ってるだけで、何でそこまで……」
「ラーダさんからしたら、リナさんを通じて、ラーダ家に取り入ろうとする、身分不相応な男だ。と見えた様ですよ?」
面白がる様に、クスクス笑いながら、ゼロスは視線を送る。
すると、ますます渋い表情になるガウリイ。
「取り入ろうなんて、思っていない。ただ、リナが心配なだけだ」
「ええ。そうでしょうね。なので、ラーダさんには、また家出をしない様に、目を光らせて貰っている。と伝えてありますので、問われたら、その様にお答え下さい」
「え?」
何を言われるか、と警戒していたガウリイは、思ってもみなかった言葉に、唖然と視線を送る。
それに、ゼロスはいつもの笑みで、首を傾げる。
「何か、不都合がありましたか?」
「いや。良いのか?」
「反対する理由なんて、ありませんよ。いくらパートナーと言えど、私情に口出しする権利はありませんし、興味もありません」
徹底したお役所仕事な考え方のゼロスに、ガウリイは初めて、感謝したい気持ちになった。
ゼロスの目が光っていると、疚しい気持ちは無いが、リナに会いに行くのに、何か理由が必要になる。
そういった言い訳は、ガウリイは苦手なのだ、考えるのも、口にする事も。
「ですが、くれぐれも過ぎた真似はしないで下さいね。責任問題が発生したら、面倒ですから」
薄く開いた目で、うっすらと笑んだゼロス。その、全てを見透かしている様な笑みに、ガウリイは、何故か内心ぎくりとした。疚しい気持ちは無い筈の心が。
何か、予感めいたその感覚に、ガウリイは、内心ヒヤリとした物を感じた。

その2日後だ。
ガウリイの元に、小さな嵐の種が舞い降りたのは。
翌日は週末のその日、ガウリイは夜勤で、夕暮れ時の出勤であった。
まだまだ日が明るい中、詰め所を目前に、ガウリイの足が止まる。
ニット帽を目深に被った人物が、物陰から現れたからだ。
その姿を認識し、ガウリイの目が見開かれる。
「アメリア?」
髪をニット帽に詰めた彼女は、ダボついた大きなシャツに、ズボンという格好だ。
「この間は、来てくれたのに、留守をしててごめんなさい」
「いや。それより、どうしたんだ?一人なのか?」
素早く周りを見渡し、護衛が居ない事を確認したガウリイは、首を傾げた。
それに、苦笑を返すアメリア。
「やだなぁ。格好見て分からない?こっそり来たに決まってるじゃない。リナにも内緒で」
「へ?!」
驚いた声を発し、ガウリイは目を見開くが、
「そんなに驚かなくても。デュクリスさんと出会った日も、こうして抜け出したのよ」
「そういや、リナも家出してるもんなぁ……厳しい警備体制の中、どうやって中央区から出るんだ?」
アメリアの言葉に納得し、困った表情になった。
街を守る衛兵としては、重要警備地帯に簡単に出入り出来るのは、見逃せないからだ。
「言ったら、使えなくなるじゃない」
「て言われてもなぁ……まあ、こう続けて抜け出す人間がいれば、改善されるか……」
短い付き合いだが、アメリアの笑顔に、説得出来ない物を感じ、ガウリイは、小さく息を吐く。
一癖のある笑顔は、あの強烈なリナさえも手を焼いてる程だから、当然の結果だろう。
それに何より、これから仕事があり、時間がないのだ。
余裕を持って出勤していても、長い立ち話に付き合える程の時間はない。
「その為だけに、わざわざ来たのか?いつもの事だろ。それに、親御さんもリナも心配してるんじゃないのか?」
「もちろん謝る為だけじゃないわ」
時間を気にした、ガウリイの矢継ぎ早な質問を、アメリアは汲み取ったのだろう小さく頷き微笑んだ。
それはそうだろうな。とガウリイは思った。
ガウリイが、リナ達を訪ねて行くのは、週に一回。
遅番の前、夜勤後、休日にと、時間に都合をつけて訪ねるので、事前の約束はなく、会えない事は珍しい事では無い。
そして、会えた時に、アメリアが律義に謝りを入れる。
リナはといえば、会う度に迷惑そうに眉を寄せ、ガウリイの質問に、嫌そうに答えるだけだ。
「心配掛けない為にも、すぐ戻りたいから、手短に言うわね」
言ったアメリアの顔から、微笑みが消え、真剣な眼差しになる。
それに、ガウリイは無言で頷いた。
「もうリナに会いに来ないで欲しいの」
ハッキリとした、アメリアの拒絶の言葉。
それを頭の中で反芻し、ようやく理解出来、その顔が青褪める。
「オレ……何かしたか?」
「何かしてた方が、私としたら面白いんだけど」
顎に左手の人差し指を当てアメリアは口が歪んだ笑みを作る。
何か遭った方が、都合が良かったと言わんばかりの口調は、ガウリイを責めている様に響く。
リナの身に、何かしらの事件が遭った事を匂わせるアメリアに、ガウリイの眉に力が入る。
そこに、
「せめて、ガウリイさんの顔が人並みだったら、話は違ったのかもね」
と、諦めと僅かな不機嫌さを含んだアメリアの言葉。
断片的で、わざと本題を語ろうとしないアメリアに、ガウリイは痺れを切らし、口を開く。
「何が、遭ったんだ?」
「表面上は何もないのよ。だからこそ、不愉快なんだけど。とにかく、それだけ言いたかったの。時間を取らせてごめんなさい」
困惑の渦にガウリイを放り込む言葉を、固い声で言い、アメリアは踵を返し、足早に近くの路地へと消えた。
その背中は張り詰めた空気を纏っていて、どこにも隙がない。
武道を心得ているとしても、過剰なその空気は、リナの今の状況に、否が応でもガウリイは気付く。
そして、その状況が、自分が原因なのだと、アメリアの言動から推し量れた。

「………さん。ガウリイさん」
恐ろしい程柔らかな声に、ガウリイは意識を目の前に向ける。
いつもの笑みを浮かべた上司が、書類を持って、そこに立っていた。
少し前まで、横にある机に座り、書類に目を通していた筈だったが、彼が少しぼんやりしてた間に、目を通したらしい。
「やっと気付きましたね。ずっと呼んでたのですよ」
「すまん」
「いつもぼんやりしてますが、今日は特に酷い」
上司は呆れた溜め息を吐くが、変わらず笑みを浮かべている。
その手にあるのは、ガウリイの書いた報告書。
「今日はこれで良いとしましょう」
やっとの言葉に、ガウリイは内心安堵した。
誤字、脱字、報告漏れで、書き直し5回目だったからだ。
「どうも」
軽く頭を下げ、ガウリイは上司の横を通った。
通りきり、そのまま更衣室へと入ったガウリイは、鈍い動作で詰め襟のボタンを外しに掛かる。
仕事中も、報告書を書く時も、こうしている今も、頭に浮かぶのは、アメリアのあの背中。
あの背中が戻る先には、リナが居て、そこに何が待ち受けているというのか。
小さな嵐は、渦を成長させ、禍々しいまでに、ガウリイを悩ませていた。
≪続く≫