【ターニングポイント】‐1‐ |
「お前さんの名前はリナだ。リナ・インバース」 自分の名前さえ、覚えていない。という事実に、衝撃を受けたガウリイは、彼女の髪を優しく撫でながら、彼女の名前を告げた。 「リナ?」 「ああ。で、オレは、ガウリイ・ガブリエフ。リナの…旅の相棒だ」 パチクリと大きな瞳を瞬かせるリナに、ガウリイは頷いて自己紹介をした。 自分の事を、どう言ったものか?と一瞬迷ったが、無難な“相棒“を彼は選んだ。 彼女に対して、好意を持っているが、まだ関係をはっきりしておらず、かと言って、この機会に関係を変えるのは不本意であったからだ。 「ガウリイさん?」 「ガウリイで良い」 「ん……」 首を傾げたリナに、ガウリイは苦笑で返した。 覚えていないとはいえ、彼女に“さん“付けされると、妙なむず痒さを感じるのだ。 気まずい空気が、一瞬流れるが、それを崩す人間が1人。 「は〜い。はい。僕はセイ・バートン。お兄ちゃん・お兄様とか呼んで欲しいな」 右手を上げ、明るい声で言ったセイであった。 その自己紹介に、 「…えっと…あたしのお兄さん……なの?」 「そんなの聞いた事無いが。どういう事だ、セイ?」 リナとガウリイの不思議そうな視線が注がれる。 それに、にこぉと微笑み返すセイ。 「え?だってさ、可愛い年下の女の子にそう呼ばれるのって、万人の夢じゃん?」 二人は顔を見合わせた。 変な人間だ。と、言葉無しに、意見が一致したのは、言うまでも無い。 そこに、医者のコードの疲れた声。 「ふざけ過ぎだ。セイ」 「残念。じゃあ、好きに呼んでくれて良いよ。」 本当に残念そうな声に、リナの表情が和らぎ、彼女の腕が伸びる。 「じゃあ、セイで良い?」 「良いよ、宜しく。リナちゃん」 その小さな手を握り返し、セイは微笑んだ。 「わたしは、この町の魔法医、コード・ワイマン。このお調子者は、助手兼弟子でね、悪のりはするが、根は悪く無い筈だが、何かされたら、報告下さい。責任持って償わせますから」 柔和な笑顔で、セイの頭を小突き、コードは二人を見る。 案の定、不安そうなガウリイとリナの顔が並んでいて、コードは苦笑した。 「心配ないですよ。お調子者には、変わり無いですがね。笑って許せる程度の、悪戯ばかりですから。大丈夫ですよ。きっと」 「つまらない話は置いといて。えっと、リナちゃんの事だけどね、頭のケガが原因だから、暫く様子を見た方が良いと思うんだ。今の状況で、移動するのは、お勧め出来ないから、空き家で滞在してみたらどうかな?」 コードの”きっと”という所に、激しく不安を覚えた二人に、セイが真剣な表情で、町への滞在を勧める。 それに、ガウリイは頷いた。 もとより、リナが全快するまで、滞在するつもりでいたので、それを断る理由は無かったからだ。 「丁度、ここの近所に、空き家があるから、そこを使って下さい。幸い、収穫期で、どこも働き手を探しているので、生活に困る事も無いですよ」 気遣う様なコードの声に、ガウリイは安堵の溜め息が漏れた。 ずっと張り詰めていた何かが、それにより、和らいだのだ。 森に囲まれた小さな町なので、町をぐるりと歩いても、二刻掛らないので、セイの案内で、連れてられた場所は、コードの診療所から、歩いて数分の距離。 近所から、掃除道具、駄目になったリナの服の代わり、調理道具、果ては小さなタンスと、布団等が、そこに揃い、その日の内に、そこは住める様にまでなった。 と言っても、空いてから、日が経っていないのか、掃除が簡単に済む程度だった事と、ご近所の奥様達の力があってこそだ。 こうして、その村での、二人の生活が始まる。 生活に困らないだけの知識は、あると分かっていたので、食事はリナが担当する事になり、思ってもみなかった、リナの手料理に、ガウリイは、内心擽ったい気持ちで、一杯であった。 掃除、洗濯を分担したりしていると、新婚気分になるからだ。 野宿の時に、簡単なスープを作る姿は、見ていたが、本格的な彼女の手料理は、下手な店より美味しく、こんな生活も、悪くないな。と、ガウリイは、微妙な共同生活を、楽しんでいたりする。 そんな、3回目の朝、いつも、朝一番の患者として、コードに診て貰う為に、2人で向かう。 そして、診察後、そこにリナを預け、ガウリイは、仕事を貰う為に、村長の所へ向かう。 コードの所に残ったリナは、と言えば、セイと一緒に、診察の準備を手伝い、その後、隣接するセイの薬屋へと向かう。 セイは、コードの助手兼弟子だが、普段は、薬屋の店主をしており、魔法を使わない医者として、町民から信頼されているという、意外な一面さえある。 今の状態で、1人にするのは不安だ、と、ガウリイは、コードの所へ預ける事にしていた。 しかし、初日、コードの所で大人しく待っていたリナが、暇を持て余し、手伝おうとしたものの、魔法の基礎さえないリナが、出来る事は少なく、急患が来ると、邪魔にしかなら無かったので、セイの所で、手伝いながら、ガウリイを待つ事にしたのだ。 「どう?」 「うん、やり直し」 リナが見せた、盆に乗った3つ木の椀を見、セイがニコリと笑い、中の物を、1つの椀に纏める。 「くぅ!!完璧だと思ったのに!!」 悔しそうな表情を浮かべたリナ。 店番をしながら、薬草の種類を覚える為に、混ざっている物を、仕分けしているのだ。 その間、セイは店の奥で、薬の精製をしており、リナに呼ばれた時だけ、店に顔を出す。 そして、昼になると、ガウリイが昼食に誘いに来るのだ。 が、その日は違った。 昼になる前に、 「店、閉めるね」 奥から、セイが顔を出したのだ。 「へ?うん」 戸惑いながら、椅子から腰を上げるリナに、 「片付けは良いから」 と短く言い、店の出入口にセイが立ち、扉を開けた。 慌てて、それをリナがくぐり、続いてセイが出て、鍵を閉め、[ご用の方は、隣へどうぞ]の木の板を下げる。 「どうしたの?」 「うん、手伝いが必要になるかもしれないからね」 急ぎ足で、隣へと向かい、リナの問いに、セイが簡単に答えた。 それに、リナが困惑の表情を浮かべるが、 「へ?でも、あたし、邪魔じゃ??」 「リナちゃんの手も必要になるかも知れないから、一応気を引き締めといてね」 と、曖昧な答えを返し、コードの診療所へと入って行くセイ。 「セイ?」 「あ、シンディさん、忙しくなるかも知れないて、伝えといてくれる?」 待合室に居た、コードの奥さんに、そう言うと、セイは踵を返し、後を追って来たリナの方へ向き、 「髪を纏めて、後は、シンディさんの指示に従ってくれれば良いから」 そう言うと、紐をリナに渡し、足早に診療所を出ていった。 「雑巾2枚と、水を用意しておいてくれる?」 ダークシルバーの短い髪と瞳の、30代後半頃のシンディは、髪を結んでいるリナにそういうと、診察室へと消えた。 「何が……?」 結び終えたリナが、呆然とするのは、無理もない。 何かが起こっているのは、何となく分かるが、断定的な言葉がないからだ。 水と雑巾を用意し終わると、シンディが診察室から出て来て、 「皆さん、すみません、お茶を用意しましたので、居間で待っていて下さい」 待合室に居た3人の患者に、居住空間への移動を促した。 それに、文句も疑問も言わず、従う3人。 「長椅子を拭きましょう」 「あのぉ、何が?」 雑巾を水で濡らし、絞ったシンディは、リナの不思議そうな問いに、「ああ」と表情を変える。 「断定出来ないけど、怪我人が出るかも知れないから」 「それと、長椅子を拭く事に、関係あるの?」 診察室に、治療室、療養用の部屋まであるのに、待合室の長椅子を綺麗にする意味が、リナには判らなかった。 それに、シンディが苦い笑みを浮かべる。 「ここを使わない事に、越した事は無いのだけれどね。まあ、念の為よ」 その言葉と表情は、起こっている何かが、良い事ではなく、しかも、大事だと、言外に伝わり、リナは口元を引き締めるのであった。 |
≪続く≫ |