【ターニングポイント】

‐3‐

「これ使って」
濡れたタオルを手に、リナは女性に声を掛けた。
待合室の椅子に座っている女性は、全身薄汚れており、血まで付いている。
治療の際、腕は綺麗にされたが、他はそのままになっていたのだ。
「有り難う……」
「あのね、あたし、大きい怪我をしたの」
「知ってる。有名だもの」
女性の隣に座り、リナが口を開くと、女性は僅かに頷いた。
そんなに有名になっているのか。と驚きながらも、リナは続ける。
「なら知ってるよね。セイと、コードさんのお陰で、こうして元気なんだって」
「ええ」
「で、あたしの旅の連れが、デーモンていうの?やっつけたのも知ってる?」
「ええ」
「なら、皆を信じてみない?」
「そうね」
弱々しくはあるが、やっと微笑みを浮かべた女性に、リナは安堵の溜め息を吐いた。
それまでの女性の表情が、可哀想なまでに悲壮だったので、少しでも和らげたのに、安堵を覚えたのだ。
そして、緊急事態だというのに、何も出来ない自分が、少しでも役に立てた事にも。
女性が、身体に着いた汚れを、綺麗に拭い取りきったその時だ。
診療所の外が、騒がしくなり、
「こちらへ!!」
開け放れたままの、診療所の玄関から、外で待機していたコードが、入って来た。
その口調は、いつもの穏やかなものとは違い、厳しいもの。
続いて入って来たのは、ガウリイ、そして担架、白ずくめが続く。
「父さん!!」
女性の腰が、椅子から離れ、担架に近寄る。
が、慌ただしく、けれど慎重に、担架は治療室へと入って行った。
続いて、診療所に入って来たのは、セイと、外で待機していたシンディだ。
「僕がやる。準備を」
「分かったわ」
セイの言葉に、シンディが頷き、診察室へと向かう。
続いて診療所に入って来たのは、青年団の2人に、肩を担がれた男。
その時、診療所の外で、災いが終わった事を告げる鐘が、町に響いた。
3人の青年団の内の、足に怪我を負っていた青年が、鳴らしに行ったのだ。
「兄さん!!」
治療室へと消えた父へと向けていた視線を、兄へと向けた女性に、セイが向き合う。
すれ違いざま、女性の兄が、妹へ小さく左手を動かし、診察室へと運ばれた。
その一連を、中途半端に腰を浮かせた状況で、リナは見守っていて、やっと腰を伸ばす。
その目の前で、
「落ち着いて。大丈夫だから」
女性の肩に、セイの両手が、優しく置かれた。
「本当……?」
「それを本当にするのが、医者の仕事でしょ」
片目を瞑り、戯けた口調のセイに、不安そうだった女性が、安堵の表情を見せる。
それを確認し、
「リナちゃん、先に来た、白い見た目怪しい男に、『治癒』を教えて貰って。で、こいつらの怪我、治してあげてね」
と、診察室から出て来た2人の青年団を指差し、リナに言うと、踵を返し、診察室へと、セイが消える。
「……あれ?」
背中を向ける瞬間に見た、真剣な表情に、リナは首を傾げた。
いつもと違う、セイの表情に、何かを感じたのだ。
が、その何かが判らない。
立ち尽くし、呆然とするリナ。
2人の青年は、先程のやりとりだけで、悟ったのか、大人しく待合室の椅子に座る。
そこに、治療室から、ガウリイと白ずくめが出て来た。
担架を慎重にベッドへ下ろす為、時間が掛ったのである。
その横、大丈夫と言われても、やはり不安がある女性は、診察室と治療室の扉の中央で待っていて、白ずくめの異様な姿に、一瞬身体を震わせた。
それに気付かない振りをして、
「リナ、記憶が無いてのは、本当なのか?」
ガウリイが口を開くより先に、白ずくめが、口を開いた。
ここに来るまでの道中、ガウリイが、リナの事を、話していたからだ。
不安そうに、リナは視線を返し、
「あ、うん。えっと、どちら様?」
「ゼルガディス・グレイワーズだ。ゼルと呼んでくれ」
愛想のない自己紹介で、白ずくめ=ゼルガディスは、右手を差し出した。
それに、応えるリナ。
握った手を一度振り、それはすぐに解放された。
「どうも……あのね、セイが、ゼルに『治癒』を教えて貰え。て…」
「セイ……?誰だ?」
「背の高い医者だ」
眉を寄せたゼルガディスに、素早く反応を示したのは、ガウリイだった。
ここに来るまで、セイとゼルは、喋っていなかったのだ。
運んでいたのが、脊椎損傷の恐れがある人物なだけあって、かなり気を使い、とてもじゃないが、自己紹介の暇はなく、リナの事も、簡単にしか聞けていない。
「あの失礼な男か……まあ良い。使えるに越した事はないしな」
「有り難う……」
長椅子にリナが座り、向かい合う形で、ゼルガディスは腰と膝を曲げ、地面に尻がギリギリ着かない形で座る。
ガウリイは近くの壁まで行き、リナを見守る様に、身体の左半身を壁に預けた。

「擦り傷なんだけどなぁ」
リナによる『治癒』を受けながら、青年がはにかむ様に笑う。
異形との戦闘で出来たのは、怪我とは言えない、ほんの小さなものであった。
それは、もう1人も同じで、直ぐにそちらも終わった。
「さすがだな」
簡単な教えだけで、完璧に自分のものとしたリナに、ゼルガディスは感嘆の溜め息を吐く。
「生徒の出来が良いから♪」
「記憶がなくても、調子が良いのは変わらんな」
パチリとウィンクを決めたリナに、ゼルガディスは疲れた表情を浮かべた。
出会った頃の、調子の良い彼女を、思い出したからだ。
「そういえば、ガウリイ、久しぶりだな」
「ああ」
昔に思いを馳せた事で、挨拶がまだだった事を思い出し、壁際に視線を送るゼルガディス。
それを受け、ガウリイは苦笑し、右手を上げて返した。
が、
「で、何時からで、何故こうなったんだ?」
鋭い視線に、ガウリイの苦笑が引き攣り、右手が動き、くしゃりと前髪を掻き上げる。
「1週間前に、山の中で、デーモンと出会って、その時に、頭を怪我したんだ。で、4日前、目が覚めたと思ったら、自分が誰かも、分からなかったて訳だ」
「ほお?……リナ、こいつに、リナ・インバースだと教えられたのか?」
自嘲の笑みを浮かべたガウリイの言葉に、ゼルガディスは、面白がる様な声を漏らし、リナを見た。
それに、小さく頷くリナ。
「うん」
「あんたを利用しようと、嘘を言っているとは、思わなかったのか?下手したら、危ない男かも知れんのだぞ?」
我ながら嫌な表情をする。と思いながら、ゼルガディスは、口の端を、歪んだ形で上げた。
そんな訳ないだろう!と反論をしようとしたガウリイだったが、それは、声にはならず、口が中途半端に開いたのみ。
確かに、目覚めたリナが、他の男に嘘を教わり、それを信じてしまう恐れは、あったからだ。
意地悪な視線と、傷付いた様な悲しんでいる様な視線を受けながらも、リナはゆっくり瞬きをし、首を傾げた。
「目を開けた瞬間、必死な顔して、心配してくれた人を、嘘を言っているとは、思わないでしょ?」
「ガウリイ……一体どんな顔してたんだ?」
「………」
笑いを堪えた、ゼルガディスの意味ありげな視線に、ガウリイは頬を掻き、視線を泳がせる。
それで、大体想像出来てしまい、ゼルガディスは、リナに向き直り、悪い笑みを浮かべる。
「なら、俺はどうなんだ?こんな奴に、簡単に利腕を出すのは、些か無防備だと思うが?」
「何で?そりゃあ、見た目怪しいけど、こんな暖かい目をした人が、危ない人には思えなかった。それで良いじゃない?」
「はあ?!」
いつも翻弄される相手を、翻弄してみようと試みたゼルガディスは、思ってもみない言葉に、間抜けな表情を浮かべるしか、出来る事がなかった。
その頭の隅で、外見が恐れられるものだ。という規定概念が、今日はやけに裏切られるな。と、意味もなく冷静に受け止めていた。
≪続く≫